これからの日本に必要な
粘土の使い方
パジコでお気に入りの製品はありますか?
廣: 「カルのび」ですね。伸び方とか、すごくあの製品は面白いです。
ありがとうございます!他に気になるとか、使ってみたい製品はありますか?
廣: 製品というよりも、介護が必要な方のレクリエーションとしての使い方をもっと知りたいですね。もう亡くなっちゃったんですけど、母の遠距離介護時、認知症で結構大変で。でもやっぱり粘土を使って遊ぶのってお年寄りにとってもすごく楽しいとわかりました。そういう手元の遊びで毎日楽しく生きてたから。
難病で動けなくなり、死を意識しながらも、ベッドで何かカンタンに出来ること。大きさや色が変化したり...リアルな触覚と視覚体験は、かけがえのない大切な部分でした。
絵を描くのもいいけど、粘土を使ってちょっとしたオブジェができちゃったりするのってすごいこと。これから日本はお年寄りが増えていくので、そういうことも大切なんじゃないかなと。介護に応用できる粘土の使い方を研究したいですね。
うちの美大でもそうですけど、別に儲かるという次元以上に、絵を描くことを心の拠り所にしてる人が結構多いんですよね。そういうのを見ていると、やっぱりものづくりってすごいことであって、人にとって大切な部分なんだと思いますね。
木: そのお話は深いですね。今、廣中さんみたいな思いの人っていっぱいいるんですよね。介護施設で講師として粘土を教えてる作家さんも結構いるんだけど、材料費が講師の持ち出しだったり、講師料をしっかり取りづらかったりしてビジネスとしてなかなか食べられないという現実もあるんですよね。せっかく廣中さんみたいな思いで活動している人がいても食べていけないというのでは、介護を取り巻く状況から変えていかないと現実としてなかなか難しい。
廣: 介護施設に入るのは結構お金がかかるのにね。不思議ですね。
木: 施設にもいろいろあるけど、どんな施設にとっても、余裕のあるレクリエーションを入れるのは難しいですよね。
聞いた話によれば、介護施設に毎日レクリエーションを入れていくとすると、1人あたり数百円ほどかかるらしいんですね。パジコの粘土も多種類使うとなると1人あたり数百円じゃ済まないですし、粘土以外の材料も使うとなれば1人あたりの金額も上がってしまって、やはり毎日取り入れるのは難しいみたいなんですよね。そうするとレクリエーションも、折り紙とか、体操とか、お金がかからないものになっちゃう。
廣: お年寄りだって、あまりに幼稚すぎるレクリエーションは嫌ですよね。そういうところは国がしっかり補償してくれればいいなあ。
木: このレクリエーションをすると、こういうふうに脳の機能に良いんですっていうエビデンスも必要になるかもしれないですね。廣中さんは大学で教えていらっしゃるんで、特にそうした説得力を求められるかもしれないですね。
わからないアートは嫌!
日本人独特の感覚?
それでは、廣中さんにとってのパジコってどんな存在ですか?
廣: どんな存在...。そうですね、正統派の教材を扱う会社という印象かな。教材って意外といい加減なものもあったりもするなかで、しっかりしていて製品の種類もいっぱいあって、いろんな方向に成長しようとすごく研究もされてるし、見てて楽しそうな製品ばかり。それらを使っていろんなことをやりたくなりますね。
木: ありがとうございます。実はうちは学校教材の方はやってるけど、ホビーとか一般のカテゴリで、子ども用のコンテンツとか商品が抜けちゃってるんですよ。
たしかに、子ども向けっていうとみんな教材になっちゃう感じで。
廣: そうなんですね。
コロナ禍で学校がお休みになって、子どもたちもおうち時間が増えたので、教材だった製品をホビーで出したりして。そうした点にはじめて目を向けられた感じでしたね。
木: そういえば廣中さんの作品でも粘土を貼っていますが、ハーティもホワイトボードに貼り付けてペリペリって何回でも剥がせるんです。絵の具みたいにいろいろなカラーもあって。こういうのは日本より海外でウケるんじゃないかな。
廣: 日本ってたしかにカラーを使うのを抵抗する人もいるんですよ。カラフルなのを頭で考えて拒否するというか、色は嫌っていうか。難病だった亡母の場合、反対にずっとカラーパワーに元気をいただき救われていました。
子どもとか老人とか、つまり無になると色でも遊べるんですよね。
自分が楽しいかどうかより、まわりの意見を気にしちゃうんでしょうね。
廣: そうそうそう。アートをわからないといけないと思っているみたいで、わからないアートは嫌!っていう。
木: グラフィティもそうですけど、日本ってタブーに対する許容範囲が狭いんですよ。だからたとえば白板に粘土で落書きするようなのをつくっても、それはアートじゃないとか、落書きなんて習慣づけるのはダメだとかっていう日本人は多いと思います。
廣: 想定外は拒否反応を示しますよね。
2015-2016 LA, Artist in residence #18th street arts center
2016 LA, Atrium Gallery #18th street arts center
ハイアートから学生の失敗作まで
作品に出る無意識の部分の面白さ
では最後に、あなたにとってものづくりとは?
廣: ものづくりしているときは一番リラックスできるんです。仕事でも苦にならないし、リラックスもできるし、忙しくても楽。
それが素、ありのままって感じですか?
廣: そうですね。でも事務仕事は苦手です、大学でも(笑)。
最近まで卒業検定シーズンだったので、早朝から夜まで学生の作品を見た後、会議があったりして、信じられないスケジュールだったんです。でも人の作品って全然自分の予想外で本当に面白いんです。おかんアート(?)どころじゃないくらい、無垢でインパクトがあったり、可視化してるんだけど言語化してないような、全くその人が意識してないものが出ちゃってて、それが面白すぎて!作品を通じて人の感じ方とか感覚とかを見られて、それに対して何かを言えて。お互いコミット出来ることが仕事なので、本当に素敵な職業だと思いますね。
展覧会でハイアートを見るのも好きなんですけど、生で生まれ出てきたその人がどうでもいいって思っているようなものも大好きで。学生が捨てちゃった作品も拾ってきて見てるくらい(笑)。
がっちりはまってるものよりも、自然に出てきてるものが良いんですよね。
廣: そうなんです。だから学生が捨てちゃったような変なものがかえって面白くて。大都会でもなく、地方都市の郊外、のんびりした大学環境だからこそ、いい意味で感化されてないので、変なものができてくるんですよね。
情報や知識が付いちゃうと、いろんなものに制限がかかってできなくなることも多いですよね。
廣: もちろん保守的で閉じてることもあるんですけどね。おかしいんじゃないかとどこか意識してしまっていたり。でも、若くて柔軟性もあるし、おかしいと思いつつヘンで楽しいモノも出しちゃうんですね。だから面白くて。いい意味でうちの大学はデッサンで入る学校でなく、デッサンに頼ってないからこそ、ヘンで楽しいモノがいっぱい出てきて。やっぱりデッサンに頼ると説明的になりがちなんです。
木: 僕も小学生からイラストレーターとか絵描きになりたくて。下描きなしで、廣中さんみたいに一発でばんばん描いてたのが、デッサンやったら描けなくなっちゃったんです。僕的にはデッサンはやったことがない人が大学ではじめてやるんだったらやればいいけど、もともと子どもの頃から絵を描いてきた人がやるべきじゃないと思う。
廣: たしかにデッサンをやったら描けなくなる人はいますよね。私、大学でデッサンせず、質感と色から物をうつすという授業をやっているんです。そうするとデッサンに頼らない面白い感性がひらくんですよね。
#Space and Rest 2020 宙と休息2020
廣中薫 Kaoru HIRONAKA
鎌倉生まれ。多摩美術大学 絵画科油画専攻卒業。鎌倉+神戸北野,2アトリエを拠点にて制作。 ジャンルを問わず多種なメディアにてアートワーク展開。 平面(雑誌 広告 書籍 CD他)立体,CG制作,タイトルロゴ,キャラクター制作/舞台撮影美術,壁画,ライブペイント制作。国内外で展覧会開催。展覧会企画ワークショップ等、幅広く活動中。
/神戸芸術工科大学准教授。 大学研究活動として『アートでの都市と街の活性化プロジェクト(ペイントde再生)』デレクション:巨大壁画・アートスペース運営・住民参加型イベントとワークショップ。
2015 + 2016.7-9 アメリカ西海岸LAにて 海外研究員活動(from神戸芸術工科大学)。
*現在、神戸港(PORT TOWER & more! ) アートで街活性化、活動中。