創業時の木村図案社
進駐軍が捨てたラッキーストライクのデザインに衝撃を受けデザインに目覚めた。
1957 | 荒川区汐入にて『木村図案社』開業 兄弟会社を興す。代表 木村勝 |
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1959 | 神田小川町へ移転。『キムラデザイン』を開業 |
1962 | 『パッケージングディレクション』へ改名 |
1967 | 代表 木村勝の手がけたパッケージが、ニューヨーク・トップパッケージング賞受賞 |
パジコは昭和32年、汐入のバラックに開業した『木村図案社』に始まった。初代代表取締役は木村勝。
現在代表を勤める木村進による兄弟会社だった。
兄弟の生まれは宇都宮の小さな印刷所。キャラメルボックスや薬などの箱の絵を描くことが幼少時代の遊びだった。
1945年、2人は戦争の混乱の中で家も両親も失う。敗戦後は進駐軍とともにタバコや菓子などアメリカの製品デザインが街にあふれ、そのデザインと出会ったインパクトは2 人の後の活動や製品作りに大きな影響を与える。
『木村図案社』は、浅草の玩具問屋などの依頼を受けた包装紙や箱をデザインからスタート。
仕事は好評を博し、2年後には事務所拡張のため神田小川町へ移転。
屋号も『キムラデザイン』に改称。勝がパッケージデザインで数々の賞を獲得し、有名企業の製品パッケージを多く手がけた。
東京オリンピックを2年後に控えた昭和37年には社名を『パッケージング・ディレクション』に改名。
この新しい社名が粘土の『PADICO』の原点となった。